グランパパの39年のあゆみ

おもちゃ屋グランパパは、2017年に39周年目を迎えます。

 

グランパパは、俳優の津川雅彦が我が子の誕生でもたらされた大きな感動に対し、父親として我が子のために精一杯に出来ることは一緒に遊ぶことと、そのために良い玩具を与えたいとの思いから始まったおもちゃ屋です。子供と一緒に遊べるパパこそ偉大な父であり、そのようなパパが増えますようにとの願いが、グランパパの名前に込められています。 日本の玩具店や、世界の玩具が集うニュルンベルクの博覧会を何日もかけて歩き、その感性を頼りに「良い」おもちゃを探し回り、ついに見つけ出したのが、ヨーロッパで長い歴史を持つ木製玩具でした。家族代々に受け継がれる木製玩具を、グランパパでは「おとぎの国の芸術品」と呼んでいます。 職人気質溢れるヨーロッパの老舗メーカーに、一介の素人が取引を掛け合うのですから、そう簡単には応じてもらえません。さらに当時は、日本人はコピーをするというイメージを持つ人も多い時代でしたから、お話しをすることすら難しいこともありました。しかし、何度も足を運び、思いを伝えるうちに、少しずつ扉は開いていきました。 シャフ社、HABA社、シュテルンターラー社など、30年以上を経てもいまだに変らぬ取引を続けているメーカーさんもいらっしゃいますし、そのころから驚くほど変わらないおもちゃ達の姿を実際にご覧いただけます。

 

グランパパは子供の夢とエンターテインメント精神から出来ています

これまでのご案内から、グランパパは由緒正しく格調高いおもちゃ屋と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、グランパパは一方で「俳優」が作ったおもちゃ屋でもあります。「子供の夢」と「一緒に遊ぶ」と「お客様を楽しませたい」が絶妙に混ざりあった、大人だからこそ楽しめるユニークな世界も目指していました。

「お人形さんとお揃いのお洋服を着てみたい」子供の夢から始まったドールブティック

自分の小さなお友達のために何かをしてあげたいと、誰もが一度は子供の頃に夢を見るのではないでしょうか。その夢を実現してみたのがグランパパのドールブティックです。 本当にお人形さんとお子様の服をつくるアトリエがあり、ティンクルさんと呼ばれるスタッフ(妖精さんの役です)がお店でお人形さんのお洋服を縫ったり、お見立てのお手伝いをしたり。 いまは自社で作っているお人形服はないのですが、お客様は20年以上前のお人形をお店にお持ち下さり(グランパパでは『お里帰り』と呼んでいます)、お洋服を探したり、ちょっと汚れてしまったお肌を綺麗にしたり髪を結ったり(『エステ』と呼んでいます)を楽しまれています。

 

パンダの『マザーラブ』と出産セレモニー

グランパパオリジナルのパンダのぬいぐるみ達は、1985年に上野動物園でパンダの赤ちゃんが死んでしまった時に「生き返って欲しい」という子供の願いと、奇しくも同じ年に中国で見つかった珍しいとび色のパンダのお話しから誕生しました。 80㎝ほどの大きなパンダのぬいぐるみは、お客様にお買上げいただいてから100日後に出産予定日を迎えます。お客様には、パンダと一緒に再度ご来店いただき、「ドクター」「看護士」に扮したスタッフで出産セレモニーを行って赤ちゃんパンダを新たにお迎えしていただくのです。赤ちゃんはおおかた白い仔ですが、時折違う色の仔が産まれることもありました。誕生するまでは、何匹の赤ちゃんがいるのか、性別、色はスタッフにも全く分かりません。 現在では出産セレモニーができるパンダは取扱いをしておりませんが、シュタイフ社製のオリジナルパンダ『マザーラブ』が双子の赤ちゃんと一緒にお待ちしています。

木のおもちゃの未来

この39年の間に、世界は狭く近くなり、情報やものの流通量が格段に多くなり、バーチャルリアリティーやAIなどが新たに耳目を引く玩具として登場しています。 一方で、木のおもちゃは、職人さんや製作者の後を継ぐ方が少なくなり、良質な木材の入手も難しくなる中で、より小さな規模になりつつあります。 しかし、人が自然の中に生き、自然にはぐくまれて育つことに変りはありません。その自然の息吹を感じられ、素晴らしいクラフトマンシップが生み出す「おとぎの国の芸術品」を次の世代に伝えるべく、グランパパはこれからも努めて参ります。


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